What's a Frivolous Journal
スパム対策のため、コメント・トラックバックは承認制をとらせていただいていますが、お気軽にコメントをいただけるとうれしいです。 |
極めて私的な日常をとりとめもなく綴るブログです。ずっと休止したままですが・・・
|
+ プロフィール
性別:♂ 特性:温厚時々沸騰、人当たりはいい、バランスをとる、おせっかい、人見知り、涙もろい、考えすぎる、頑固 行動:打つ、泳ぐ、走る、観る、撮る、歌う、縫う、作る 天敵:宗教、権威、圧力、悪口、裏切り、束縛、ゴキ×× + ブログパーツ
+ 以前の記事
2012年 03月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 more... +
|
いろいろと考えているうちに、知らない間にソファの上で熟睡。改めてコミュニケーションって何だろうって悩む。
スクーリングで羽根木プレイパークに見学に行って、本当はそこで遊んでいる子どもや、連れ添っている大人たちに話を聞いてみてくださいって言われていたのだが、自分にはそれができなかった。なぜだろうって考えてみると、自分自身の引っ込み思案の性格もあるのだが、同時に、「怪しまれるかも・・・」という気持ちがあったのも確か。このご時世、知らない子どもに話しかけるというのは、どうしても構えてしまうのだ。それは過剰な反応なのかもしれない。しかし、人の良さそうな人が犯罪を犯すという現実と、そしてそれから守ろうとするコミュニティの結束。その中でコミュニティ外からの善意のコミュニケーションが遮断されつつあるような気がする。 もう一つは、やはりプレイパークが「ぬるま湯」的な空間かもしれないということ。 よくしゃべる子、口の重い子、恥ずかしがりでなかなか馴染めない子。性格や年齢によって、それぞれ違いはあるが、ひとつ共通している事がある。子どもは遊びをとおしてまず安心感を持ち、子どもの立場を尊重してくれるおとなだとわかると、少しずつ語り始めるのである。自分の話に耳を傾け、共感してくれるおとなの存在は彼らにはとても大切だ。ただ、逆に考えると、子どもの立場を尊重してくれない大人に出会ったとき、あるいは見知らぬ大人に出会ったときに、子どもはなかなか心を開いてくれない。ゲームの世界に没頭する子どもたちと同じように、限られたコミュニティの中だけでしか生きられなくなる可能性も秘めている。 このあたりからスクーリングの切り口が見えてこないかなあ。
by neoxac
| 2004-12-19 01:40
| デザインを学ぶ
|
+ カテゴリ
全体 日々の生活の中で エンタメ! カバンをつくる カラダを鍛える テニスしてます 不健康自慢? デザインを学ぶ 会社のお仕事 介助生活(再開) デザイン考 Mac & Digital Life 夢の中へ フリーのお仕事(終了) 料理をつくる(休止) 旅に出る(休止) 東京で車をもつ!(休止) 自分を見つめる まじめな社会問題 + 最新のトラックバック
+ タグ
+ その他のジャンル
+ ファン
+ ブログジャンル
+ 画像一覧
|
ファン申請 |
||