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What's a Frivolous Journal
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極めて私的な日常をとりとめもなく綴るブログです。ずっと休止したままですが・・・

by neoxac

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性別:♂
特性:温厚時々沸騰、人当たりはいい、バランスをとる、おせっかい、人見知り、涙もろい、考えすぎる、頑固
行動:打つ、泳ぐ、走る、観る、撮る、歌う、縫う、作る
天敵:宗教、権威、圧力、悪口、裏切り、束縛、ゴキ××
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++ コミュニケーションって何だろ
いろいろと考えているうちに、知らない間にソファの上で熟睡。改めてコミュニケーションって何だろうって悩む。



スクーリングで羽根木プレイパークに見学に行って、本当はそこで遊んでいる子どもや、連れ添っている大人たちに話を聞いてみてくださいって言われていたのだが、自分にはそれができなかった。なぜだろうって考えてみると、自分自身の引っ込み思案の性格もあるのだが、同時に、「怪しまれるかも・・・」という気持ちがあったのも確か。このご時世、知らない子どもに話しかけるというのは、どうしても構えてしまうのだ。それは過剰な反応なのかもしれない。しかし、人の良さそうな人が犯罪を犯すという現実と、そしてそれから守ろうとするコミュニティの結束。その中でコミュニティ外からの善意のコミュニケーションが遮断されつつあるような気がする。

もう一つは、やはりプレイパークが「ぬるま湯」的な空間かもしれないということ。
よくしゃべる子、口の重い子、恥ずかしがりでなかなか馴染めない子。性格や年齢によって、それぞれ違いはあるが、ひとつ共通している事がある。子どもは遊びをとおしてまず安心感を持ち、子どもの立場を尊重してくれるおとなだとわかると、少しずつ語り始めるのである。自分の話に耳を傾け、共感してくれるおとなの存在は彼らにはとても大切だ。
(「コミュニケーション研究I・II」武蔵野美術大学出版局より)
ただ、逆に考えると、子どもの立場を尊重してくれない大人に出会ったとき、あるいは見知らぬ大人に出会ったときに、子どもはなかなか心を開いてくれない。ゲームの世界に没頭する子どもたちと同じように、限られたコミュニティの中だけでしか生きられなくなる可能性も秘めている。

このあたりからスクーリングの切り口が見えてこないかなあ。
by neoxac | 2004-12-19 01:40 | デザインを学ぶ
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